真の森田療法を追究する

森田療法とは、強迫観念/強迫行為、対人恐怖症、不安神経症、鬱病などの神経症を治療するための精神療法で、日本の故森田正馬博士が創始した治療方法です。近年、日本では広まってきましたが、必ずしもすべての精神科医師や臨床心理士が森田療法を正しく理解して実施しているとはいい難いと思われるので、実際、森田療法によって、対人恐怖症と強迫観念を乗り越えた自分が、専門家の誤りを指摘し、正しい森田療法を広めるために、このブログを立ち上げました。

批判

何にもわかっていない元日本森田療法学会理事長


前の日本森田療法学会理事長であった、北西憲二氏。


個人攻撃のようで、申し訳ありませんが、正しい森田療法を維持しなくていけないという目的のため批判させていただきます。この先生が2008年ごろ行ったと思われる、森田療法セミナーのDVDの動画が

Youtubeにアップされています。その内容が問題です。

森田療法セミナーDVD1



これによれば、「パラダイムを転換し、違った形での森田療法を我々は提供できるようになった。」と言っています。

外来森田療法を中心として、入院森田療法と自助グループ(生活の発見会のこと)と関係をもちながら
森田療法を展開していく、と言っています。

外来森田療法が中心??

これには、驚きです。


森田正馬は、はっきりと、

 第一期、絶對臥蓐。
 第二期、徐々に輕き作業。
 第三期、稍重き身體的精神的勞作。
 第四期、不規則生活による訓練。
 
を行う、絶對臥蓐から始まる四段階の作業療法のことを、「余の特殊療法=森田療法」と定義しているのです。

その理由は、神經質に對する余の特殊療法に書かれている下記の文章であきらかです。



----- 引用始 ------
此の治療期間は長くとも一期間一週日で、四週間を以て終り、或は三日宛とすれば十二日間で此療法を終るのである。で、其三期間は全く社會と絶つて、家族との面會をも許さない隔離療法であつて、其の根本的の目的は、患者をして精神の自然發動、及び其の成行きを實驗體得せしめて、自己に對する從來の誤想臆斷を破壞し、總て物に拘泥するといふ事を廢し、大きくいへば佛教の所謂無碍礙といふ心的状態に導き、身心の自然機能を發揮させるのである。即ち身心の自然療法である。
----- 引用終 -------

この文で重要な言葉は、

其の根本的の目的は、患者をして精神の自然發動、及び其の成行きを實驗體得せしめて、

の部分です。自然発動、実験体得せしめること。

ここです。

あるがままを体得させるには、絶対臥褥から始まる、作業療法がどうしても必要だという認識に長年の実験的研究の結果、森田が到達したのです。

パラダイム転換?

(注)パラダイムとは、ものの見方・考え方を支配する認識の枠組をいいます。

この講師のひとは、森田療法を「入院中心」から「外来中心」へとパラダイム転換をできてきた

と言っています。なんだろう?

それは、森田が重視した、「体験・体得」を軽視していく姿勢であろうと思われます。

これは、あきらかな間違いです。


また、不問療法と言って、患者が訴える症状の苦痛を、森田療法では「不問」にふすと森田が言っています。これについても、「不問」から「問うこと」と「介入」へ変えたと言っています。

不問療法は、患者の注意を症状への関心から離させるための手法です。

患者の苦痛に介入しては、そのような症状からの引き離しができず、精神交互作用によって患者はますます、症状を悪化させてしまうことは、森田理論から明らかです。

「不問」から「問うこと」と「介入」への変更

これも間違いです。なぜ、(症状を)問うのか?

そのほうが一見、患者からの受けがいいからでしょう。単に患者を病院に引き付けるためです。

本当に患者の身になった気持ちからではありません。 

パラダイム転換など、ありえません。

これほど森田の原法から逸脱してしまっては、もやは森田療法ではありないと考えます。


こんなおバカなことを言ったひとが、前の日本森田療法学会理事長だったとは驚きです。

北西憲二氏が所長をやっている「森田療法研究所」のサイトを観ました。

そこには、新しい森田療法と称して、以下のようなことが記載されています。

-----------------------------------------------------------
新しい森田療法
この新しい森田療法は外来での戦略的に行う精神療法です。
ネオ森田療法は、入院という伝統的な治療システムによらないこと、個人精神療法(個人カウンセリング)を主として、家族療法、夫婦療法、親子療法などを適宜組み合わせること、精神分析的精神療法、認知療法、行動療法などの技法を必要に応じて取り入れていることなどがその特徴です。
新しいスタイルの森田療法(ネオ森田療法)といえるでしょう。
-----------------------------------------------------------

入院によらない。
精神分析的精神療法
認知療法
行動療法
ネオ森田療法

まあ、なんでもありのごった混ぜのようです。

このクリニックにかかるのはやめた方がいいと思われます。

なぜ外来森田療法が中心なのか? 外来のほうがやりやすいからと思われます。

しかし、正しい医療とは、やりやすいかどうかではないはず。

この人、東京慈恵会医科大学卒業、スイスに留学経験ありのかた。

おそらく勉強したものは、なんでも利用したいという考えと想像します。


個人批判になって申し訳ないが、正しい森田療法を後世に残すために、あえて批判を書きました。なにとぞ、ご理解ください。

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暴露反応妨害法は、森田理論の感情の法則・精神交互作用説・体験療法そのものである


昨日は、認知行動療法の暴露反応妨害法が、森田正馬が言った「恐怖突入」と本質的に同じであることを言いました。そして、この森田の「恐怖突入」は、今から約一世紀も前に発見した方法です。それに対して、認知行動療法は1950年~60年代の論理療法や認知療法に起源をもつので、森田は数十年早く発見しています。
およそ学問上の発見に先取権が主張されるのが普通ですから、暴露反応妨害法は、森田正馬が発見したものと言ってよいと思います。

私は、まだ認知行動療法を十分勉強していないのですが、この暴露反応妨害法は次の2つの原理によっているものと考えられます。

原理1:人の不安な感情は、放っておけば時間が経つにつれて消失していく。

原理2:感情に注意を向ければ、感情はますます鋭敏になる。
 

このことを、「暴露」によって、体験的に会得するのが、暴露反応妨害法の要点です。

上の2つの原理は、森田正馬が、感情の法則と、精神交互作用説によって、見事に説明しています。

神経質の本態と療法(森田正馬著)の122ページから引用すると、

「第一、感情はこれをそのままに放任し、もしくは自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、一昇り、一降りして、ついには消失するものである。」

と原理1が明確に述べられています。


また、30ページに、

「神経質について私がいう精神交互作用とは、われわれがある感覚に対して注意を集中すれば、その感覚は鋭敏になり、そうして鋭敏になった感覚はさらにそこに注意を固着させ、この感覚と注意が相まって交互に作用することによりその感覚をますます強大にする、そういう精神過程を名付けたものである。」

とあります。

この精神交互作用を起こさせないために、強迫行為をがまんして止めることが重要になるわけです。

森田が発見した「感情の法則」と「精神交互作用」から、自然、演繹的に暴露反応妨害法が導かれることは容易にわかるでしょう。さらに付言するならば、神経症の治療が、説得ではなく、体得によってなされるべきことが森田により主張されていることに注意すべきです。つまり、体得するために、訓練として暴露反応妨害法を行うのです。


神経質の本態と療法の126ページから引用します。

「私の神経質療法は、ヒポコンドリー性基調感情に対して陶冶、鍛錬療法を施し、・・・
・・・そうしてこれは、常に患者をその実証、体得により、いわゆる自然に服従することを会得させようとするものであって、根本的な自然療法である。」

鍛錬療法、
実証、体得、会得
自然に服従

と、暴露反応妨害法の要点が、記述されています。

暴露反応妨害法を、西欧精神医学の恩恵とありがたく頂戴する必要はなく、すでに、数十年以上早く森田が見つけていたのです。

日本の臨床精神医学者は、この偉大な先駆的森田の発見の先取権を、西欧精神医学者に分からせる責任があるのではないでしょうか?

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森田正馬だったらなんと言っただろうか?


前回の投稿では、現代の森田療法は切れがなくなったことを指摘しました。

例として、森田療法の臨床心理士K氏が、代理確認をしている家族に、代理確認は段階的に止めるようにして現実に直面させるよう言っています。
(注:代理確認とは、自動車事故を起こしたかもしれないことを恐れる強迫行為の患者が自分で確認を行わず、家族に事故が起きたかどうかを確認してもらうこと。)

もし、この患者と家族が、森田正馬先生のところに治療を求めてきたとしたら森田先生は何といっただろう。

そんな仮想シーンを考えてみました。

以下は、私が仮想した、森田先生の指導内容です。

家族(患者):代理で家族が、確認行為をしていてたいへんです。なんとかこの病気を治していただけないでしょうか?

森田: 確認行為を家族にさせているのですか? そんな意志薄弱な人は、治療できませんので帰ってください。その意志薄弱を直してからきてください。ご家族のかたは、そのような代理確認は今すぐ止めなさい。 

まあ、こんなことを言って、神経質患者の人格矯正をするための指導的言葉を言ったのではないかと思います。

神経者は、負けず嫌いなので、きっと「甘える」ことを反省をして前向きな姿勢にかわるだろうということを見越し患者の心機一転を促す意味でこのようなことを言ったのではないでしょうか?

森田的指導とは、まさにそんなところにあるように思えます。

このようなことを言うには、もちろん患者が神経質者であることを見抜いている前提は必要です。

故水谷啓二氏が、森田正馬に入院を求めたときには、「東大受験に合格したら入院させてあげる」と言い、水谷氏は、見事東大に合格してから入院したそうです。

森田先生の指導方法は、まさに神経質の特長を生かして、人間として教育するやりかただったのです。

現代の大病院での森田療法では、このような人間教育的要素はおそらくないと思います。

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切れがなくなってきた現代の森田療法


前回は、強迫神経症を自力で克服なさった、佐藤条二さんの本を
紹介しました。

  ある日、「誰にもいえないこと」に襲われる 著者:佐藤条二氏


本当にいい本です。神経症で悩んでいるかたは、ぜひ読んでください。

購入は、こちら。 

私は、重症の強迫神経症、対人恐怖症などを自力で治すのは、難しいと思います。

佐藤さんのようなケースは、特殊ではないでしょうか?

重症のケースは、外来より入院のほうがいいと思います。

ところで、現代の森田療法について、昔のそれと比べて、切れがなくなったとか迫力がなくなったとか、そういう印象を感じています。

下の久保田幹子氏の 強迫性障害への森田療法Q&A-1 というYouTubeの動画での説明を観ました。この動画ではそれほど間違ったことはないので批判はしませんが、感じたことを言います。

久保田幹子氏の動画 
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この動画では、強迫性障害の人が、自分の疑っている不安を、家族に確かめさせている例を紹介しています。家族は、本人に代わって、その「確かめ」をして本人をなだめているのだそうです。
それに対する久保田氏の家族への指導です。確かめは家族がするのを止めないといけないが、いきなりやめると本人がパニックになるので、段階的にやめていくようにしなさいと言っています。
本人に代わって、家族が代理確認をしてはいけない、ということは正しいのですが、果たして段階的にする必要があるのでしょうか? 治療の甘さを感じますね。切れがないというか、治療者に自信がないとかいうようなことも感じます。

森田正馬先生は、神経質による心臓発作の患者に、「その発作を今、診察するので、その発作を私の前で実際に起こしてみなさい。」と患者に言いました。しかし、患者が発作を起こそうとしたが、起きない。それだけでその病気が治ってしまった、ということです。

「恐怖突入」ということです。家族の代理確認をやめて段階的に本人自身に現実と直面させる、と言う久保田氏。
私はそんな必要はないと思います。いきなり現実と直面させればいいのでは?
それでこそ、心機一転を体験できるきっかけを作れるのです。

現代の森田療法は、心機一転という人間の持っている自然治癒力を生かしていません。
それは、森田療法専門家と称している、治療者が森田精神の本質を知らないからです。
あ、やっぱり批判になってしまいました(苦笑)。

心機一転。これを生かせないのは、治療者が神経症の体験がないからでしょう。 

現代の森田療法は、切れがなくなりました。
 

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森田療法と強迫神経症の本質をわかっていない専門家


昨日は、強迫行為の心理について説明しました。

強迫行為をするのは、気持ちがいい感覚・気分を求めてするのだということを言いました。しかし、感覚・気分は意思で創れるものでないので、感覚・気分を創ろうと追究すると、かえってそれができず、ますます強迫観念が強くなります。

人は、

考える ==>> 行動する ==>> 感じる

という行動パターンを踏むのが自然です。

考える ==>> 感じる ==>> 行動する

としようとするのが、強迫神経症の人のやりかたです。

そのような、行動パターンは、強迫神経症を起こします。

こういう基本的な、森田理論をわかってない専門家が、います。

名指しで大変申し訳ないのですが、以下の「強迫性障害に対する森田療法」と題するセミナーの講演者、法政大学現代福祉学部教授 久保田幹子氏の講演内容を検討してみたいと思います。

このセミナーは、東京慈恵会医科大学森田療法センターで、2010年ごろ行われたようです。

このセミナーで、久保田氏は、強迫神経症の人はどういう風に心がけて不安と付き合うか?を説明しています。

その要点は、次の5点です。

1.不安になったら、一拍おくこと
2.時間を物差しにする
3.不安が空想か現実かをわけること。
4.疑いながら進んでみる(あいまいな自分を信じる)
5.感じることから、出発すること。

1について。

久保田氏は、不安が起きたら、すぐに不安を取り除こうとしないで一拍おいて様子をみなさい、と言っています。
これは、割合によく言われる助言だと思います。しかし、重度の強迫神経症では、それはなかなか難しいのです。一拍おけという、行動を指示しているという意味では比較的よい助言かもしれません。


2について。
患者は時間の感覚がなくなっていて、本人は時間を意識していない。時間を物差しにして時間経過を意識して
考えることから脱出するきっかけにしなさい、と言っています。
しかし、強迫行為の人は、時間は意識しています。だから、苦しいのです。時間を物差しにして一定時間たったら考えることをやめなさいという説得のようですが、そんなことしたいけどできないのが強迫神経症なんです。

3について。

不安が空想か現実かをわけなさい、と言っています。想像上の不安はわきにおいて、想像か現実かをわけなさい、と言っている。患者の心理をまったくわかっていません。患者は、不安を現実と思っています。ただ、可能性としては小さいことはわかっています。しかし、可能性が小さくても不安は現実にあるのです。
まくらことばに「もしも」がつけば、いま考えなくてよいと説得しています。説得は無意味なのです。

4について。

100%の完全を求めるから自分が信じられなくなる(そのとおり)。脱出するためには、かすかなあいまいな自分を信じなさい、という説得。それができれば、すでに正常人です。できないから、強迫神経症。そのような説得は無力です。

5について。

患者は感じることを置き去りにしていて、感じるというものがまったく使えていない。(そのとおり、それが病気)
相当疲れているのに、疲労感を忘れている。そんなことはないです。疲労感を覚えている、だから苦しいのです。
情けないことを実感して、ブレーキをかけなさいと言っていますが、情けないことは実感しています、だから苦しいのです。感じたことを次の行動の出発点にできるのは、正常人。それができないから、病気。

まあ、なんて当たり前のことを言うんでしょうね。全部、正常人にはできることですが、強迫神経症者にはできないことです。

個人的に批判して申し訳ありませんが、久保田幹子氏は、強迫神経症という病気をまったく理解していないと私は思いました。この人、臨床心理士なんですが、いったい何人の人を治してあげられたのでしょうか?

久保田氏は、東京慈恵会医科大学森田療法センターのスタッフです。残念ですね。

久保田氏のように、単なる説得療法になってしまっている森田療法治療者は結構いらっしゃるように感じます。

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この動画は、こちらです。


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